稲美町探訪(12):印南野台地H・天満大池の伝承


兵庫県はもともと降水量が少ないために、溜池をつくり灌漑が行われてきました。

兵庫県の溜池の数は、全国一位です。

そのうちでも淡路島と播磨に溜池が集中しています。

印南野台地のため池は、その規模の大きなのが特徴です。

 稲美町の加古にある「加古大池」は県内第一位、「天満大池」は第二位、北山にある「入ケ池」は第五位の規模です。

印南野台地のそれらの池のほとんどは、江戸時代と明治以降に造られていますが、「天満大池」と「入が池」は、その歴史は古く、水の少なかった印南野台地では比較的早く開発された地域です。

 天満大池と入が池について、少し紹介しおきましょう。

今日は、天満大池の伝承です。

  

  天満大池 

天満大池はかつて「岡の大池」とも「蛸草大池」とも呼ばれ、白鳳三年(675)に築かれたといわれています。

「蛸草大池」の名称は、1666年の絵図にもあり、おそらく「蛸草庄」を潤す「大池」として名づけられたのでしょう。

この天満大池には、次のような伝承があります。

天満大池の伝承

E3a1760f 室町時代前期にあたる1390年正月のころでした。

ある僧がこの地にやってきて天満神社に逗留することになりました。

このころ夜になると雑魚(ざこ)が、プカプカ浮かぶのでした。

人々は怪しんで、このことを僧に相談すると、僧は「大池に弁財天はあるか」とたずねました。

村人は「ありません・・」と答えると、僧は「このような大池には、きっと竜が住んでいるはずだ。

これは竜の仕業である。島を築いて弁財天を祀るがよい・・」といいました。

村人は急いで島を築き弁財天を祀ると、その怪しいことがビタリと止んだといいます。

*弁財天は、女神でもとの姿は蛇です。

弁財天は、人々に富をもたらし、水を司る神としてあがめられていました。